ふらんけんの本棚



私がノルウェーで買ってきたFOTBALL関係の本の中には、興味深いものも多いけれど、なんだかよくわからないものも ある。
と、いうことでその一部をちょこっとご紹介。



プレイヤー編スペシャル

「Erik Mykland」

Håvald Rem 著 (Aschehoug)

ミュッゲンの本「Erik Mykland」については、読書会を行いましたので、その際の 要約をご紹介させていただきます。

Myggen本「Erik Mykland」プチ読書会(2002.7.6)
ポイント解説:frosk先生

★P.26〜27 4行目〜 両親のコメント
・ウチの子はよその子より長い間三輪車に乗っていた
・妹にはきついことを言っても、Erikに言うととても悲しい目になった(母)
・腕を使った殴り合いの喧嘩に加わったことがない(父)

★P.28〜29
・フランス大会でのスキャンダルで大人になった。

★P.36〜37 小学校の時
・クリスマスの劇で、脇役になるのはイヤと拒む。
 結局劇の前に何も言わずリフティングを8〜10回した。

★P.52 卓球で活躍

★P.53
・日曜学校に3回で行かなくなった。
・誕生日パーティーがイヤだった(練習の邪魔になるから)
 友人の誕生日には練習が終ってから遅れて行った。
 自分の誕生日は5歳以来祝っていない。

★P.54
・独立記念日は苦痛だった。練習できないから。
・人混みは彼をパニックにさせる。

★P.62 ハルバール・トーレセンサッカースクールへ
・友達が見ている映画も見られない(暴力的なものが嫌い)
・見られなかったのはジェームズ・ボンドの映画じゃなくてジョーズ?!

★P.64
・父親はロックスター→ポップスター→市議会議員(労働党)→
 1期で捨てられ(理由はあまりにも事務所にウイスキーがたくさんあるから?)
 →65年地方紙の記者→リズールのサッカーコーチ

★P.67〜69
・悪に染まってゆく(思春期のミュッゲン)
・自分から仲間と街へ出るように

★P.74 妹Trineの話
・Bryneへ行っていた間、毎日電話をかけてきた。
・TrineはErik Myklandの女性版。
・妹のことを170パーセント信用している。

★P.91 フローデ・オルセンの語るミュッゲン
・もし警官になったら彼を逮捕する。彼を逮捕したい理由は・・・
 3日以上パンツを替えていないことが1度ならずあった。
・ピッチの外でのミュッゲンは、みんなの思っているイメージじゃない。
 知らない人と話をするのが好き。
 (P.94〜よく読んでください)

★P.101〜 インテリなボヘミアンのイメージ
・好きな作家、イングヴァール・アンビヨルンセンにサインを断られた。
 酔っていて「ペンより思いものは持てないよ」と言われる。
・ダブルスタンダード
 飲酒と喫煙→ドリロの批判に対する反発

★P.140〜「Dagbladet」の批判記事
 (注:ファンは読まない方がいいです)

★ P.145〜 EMでの話

・・・・・以降は第2回読書会で!!(近日開催予定?)・・・・・

代表編

「Eventyret Drillos」

Egil Drillo Olsen , Jan Holm , Øyvind Larsen , Sjur Natvig , Einar Sigmundstad 著
(SCHIBSTED FORLAG)


ドリロことオルセン監督がナショナルチームの指揮を執っていた1990年10月〜1998年の6月までの 約8年間。
その間に2度のW杯出場を果たしたチームと選手たちはドリロのチームということで 通称「ドリロズ」と呼ばれていた。
この本のタイトル「Eventyret Drillos」は適当に訳すと「ドリロズの伝説」とでもいう感じ?(怪しい・・・苦笑)

私自身がこの当時のメンバーが好きというのもあるけど、この本は読んで(もとい眺めて)て 飽きない内容満載。
例えば、1989年のU−21代表の写真とか。この中には、エイヴィン・レオナルドセン、ラーシュ・ボヒネン、 ヘニング・ベルク、ローゲル・ニルセン、スティグ・インゲ・ビヨルンビー、ロアー・ストラン、 トーレ・ペダーセンなんていういわゆる「69generasjonen」のメンバーの姿が。 当たり前だけどみんな若い!! ベルクなんて髪ふさふさで、悪そうだ(笑)。
ドリロズの選手たちがいつ代表にデビューしたかとか出身の地方だとか細かい データも各種あって、細かく見てゆくとなかなか楽しい。

そして何よりも飽きないのが、ドリロが指揮を執った全88試合のデータ。
フォーメーションはもちろんのこと、ベンチ君メンバー、誰のデビュー試合だとか、キャプテンの名前も ちゃんとあって、試合に関するドリロのコメントも添えられている。
4−5−1という印象が強いドリロズだけど、4−4−2とか3−5−2とかいう場合も 結構あるし、ポジションも意外な選手が意外なところで出ていたりと、なかなか 紆余曲折の歴史が垣間見えます。
一番面白かったのがロニー・ヨンセンで、1993年11月のトルコ戦ではFW(しかも1トップ)でスタメン に入っているのに、次の代表試合1994年1月のUSA戦ではトーレとセンターバックのコンビを組んでます。 前の方のポジションの選手が年と共に下がってくるとか、元FWで現サイドバックという選手は たまにいるけど、2ヶ月のあいだでこんなに極端に変わる選手も珍しい・・・(笑)
データを見ているとレクダルはつくづくドリロに信頼されてたんだなーと思います。 出場している試合は、ほぼミッドフィールドの中央というポジションが変わりません。 88試合中64試合出場というのもダントツで最多ですし、実は最多の15ゴールも決めてます。
でも出場1試合だけというメンバーも、クヴァルメ、バスマ、ヘスタッドなどなかなか豪華(?!)

数々の写真からも当時のチームの雰囲気の良さを感じます。
相変わらず本人より目立ってるドリロの犬(Docile)とか(笑)。
ちょっとノスタルジーに浸ってしまう「ドリロズ」の伝説です。

「Effektiv Fotball」

Egil Drillo Olsen , Øyvind Larsen , Nils Johan Semb著(Gyidendal Norsk Forlag)

オルセン監督の戦術本。とても読むとは思えなかったけど、ヨスティン兄ちゃんが表紙だったのと、 セールで49クローネになっていたので、ついつい買ってしまったのでした(笑)。
でも94年W杯とその前の予選、親善試合の写真が使われているので、それを見るだけでも 結構楽しめます。
図を使ったフォーメーションの説明などに、パソコンを使って細かく試合分析をし、 選手にも自己分析を要求したという「プロフェッサー」ドリロらしさを感じますね。
当時アンダーチームの監督をしていたセンブ現A代表監督も共著者として名前を連ねてます。


クラブ編

「I ROSENBORGS HUS」

Geir Svardal og Harald Grevskott著(ADRESSEAVISENS FORLAG)

言わずと知れたノルウェーリーグ10連覇、チャンピオンズリーグの常連ローゼンボルグの本。
前半部分はRBKの歴史、スパーズのステファン・イヴェルセンのパパ、「Ivers」ことオッド・ イヴェルセンが活躍した時期や、最近のチャンピオンズリーグでの活躍など、ここ40年ほどの クラブの出来事などが綴られている(全て読んだ訳ではないので、この辺は想像・苦笑)。
中の写真には、若かりし頃のステファンパパとか、コーレ・インゲブリットセンとか(しかも 私の好きなロン毛の頃)レオちゃん、レーケンなど過去に所属していプレイヤーたちの姿が 拝めます。
あと忘れちゃいけない名物監督のニルス・アルネ・エッゲン監督と、マネージャーの ルネ・ブラツエット様。この二人に関する写真や紹介ももちろんあります。
後半は1960年から1997年までのデータ集。
これを見ていると、意外にこの選手、昔からRBKにいたんだー、とかRBKに所属してたんだー、 なんて事を発見します。(私が意外だったのはリーセット)。
でもこの本高すぎる・・・315KRって購入当時のレートでも4000円以上。
そんなわけで、他にもあるノルウェーリーグのクラブの本、Brann、Våleranga、Oddの本などを 発見したのですが、手が出ませんでした。
Oddの本なんて2000シーズンノルウェーリーグカップで優勝してTV出演した時の写真なんかがあって なかなかレアものです!(私はますらおをチェック!!笑)

プレイヤー編

「Flo United」

Inge Fænn og Odd Myklebust著(Aschehoug& Co.)

タイトルからもわかるようにこれは、ヨスティン、トーレ・アンドレ兄弟、そして従兄弟のホーバイちゃんを 含むフロー一族の本。
本の中にはおまけでこの三人の寄せ書き(直筆?)サイン入りステッカーも入っていた(笑)。

さて、ノルウェーには2つの言葉がある。かつてデンマークの支配を受けていた影響で デンマーク語を母体として発展したブックモールと、各地に残っていた方言を元にしてできた ニューノシュクである。現在都市部を中心に多くの人が使用しているのがブックモールと言われている。 ニューノシュクは少数派だ。

以前トーレ・アンドレが、自分のサイトを持っていた時、彼はノルウェー語のページを ニューノシュクで書くと言っていた。勉強不足の私は英語のページで読んでいたのでその2つの違いが わからないままだったのだけれど、彼の出身地Strynはニューノシュクが使用されている地域で、 故郷に誇りを持つ彼は、地元の子供たちのためにもニューノシュクで書くことにこだわったようだ。 現在はサイト自体が無くなってしまって(どこかにあるのかな?)残念だけど・・・。
実はこの本はブックモールで書かれている。人口に対する使用者の割合でニューノシュクだと売れないらしい・・・。

そんなStrynの英雄トーレ・アンドレ・フローを産んだフロー一族を ヨスティン、トーレ・アンドレ、ホーバルの3人を中心に豊富な写真と共に紹介している。

さて、新聞に家族合わせて13メートル。と書かれたこともあるフロー一家。
お父ちゃんアンドレアス、お母ちゃんトルラウグの間に生まれた子供は五男一女。
男の子達はみんなフットボールプレイヤー。親戚一同を集めると「チームフロー」が出来る!!(笑)

☆Kjell Rune Flo (1961.4.11生まれ) 保険代理業。
FW/DF。8歳からストリンでフットボールを始める。1980年にトロムスで、1990年には モルデでプレー。1993年に引退。

☆Anita Flo (1963.1.6生まれ)
兄弟唯一の女性。プレーはしていないが、兄弟たちの面倒を見てやっていた。

☆Jostein Flo (1964.10.3生まれ)
FW。8歳からストリンのジュニアチームでプレー。
ストリンのAチームに16歳でデビュー。1979−1987ストリン。1987−1990モルデ。 1990−1991リエルセ(ベルギー)。1991−1993ソグンダル。1993−1996シェフィールドユナイテッド。 1996〜ストレームスゴドセット。
1987年にA代表にデビューするが、その後しばらくは忘れ去られ、 ドリロによって再び召集されたのが1992年6月3日のスコットランド戦。

☆Bjarte Flo (1966.12.20生まれ) 大工。
MF。8歳からストリンのジュニアチームでプレー。
ストリンのAチームに16歳でデビュー。1983年から1995年に引退するまでストリンでプレー。

☆Jarle Flo (1970.4.23生まれ) 中学校教師。
DF。8歳からストリンのジュニアチームでプレー。17歳の秋にストリンのAチームデビュー。 1993年から1999年までソグンダルでプレー。
足の痛みが続いているため、カムバックは難しいか?

☆Tore André Flo (1973.6.15生まれ)
FW。7歳でフットボールを始め、16歳でストリンのAチームにデビュー。
1989−1992ストリン。1993−1994ソグンダル。1995トロムソ。1996−1997ブラン。1997−2000 チェルシー。2000〜レンジャース。
1995年10月11日ウレヴォルでのイングランド戦でA代表デビュー。

ヨスティンはプロのフットボーラーにならなければ、 大工になるつもりで訓練も受けていたとのこと。左手に捲いていた包帯はカナヅチで打った傷 だった・・・?!(笑) トーレ・アンドレは経済学の学生だったとか。

子供時代の写真も多く、フローファン、特にヨスティンファンには美味しい内容かな。
ヨスティン兄貴フォトジェニックなんだもん!!(笑)

「PÅ hæl'n」

Kjetil Rekdal/Kjetil Siem著(Gyldendal Norsk Forlag)

表紙がレクダルの「お散歩用黄靴」ことクロノスの黄色のスパイク(ストイチコフモデル)。
この辺から既に怪しいのだが、内容はもっと怪しい。
サブタイトルが「Kjetil Rekdal Spør om Fotball」、これは訳すると「チェティル・レクダルの フットボールクイズ」ということで、つまりクイズ本なのであった。
別にレクダルの名前をわざわざ入れなくてもいいようなものだが、そこはそれ、やはり知名度による 売上アップを狙っているのか・・・ともかくレクダル自身のイメージアップにはこれっぽっちもなっていない 本である。

クイズの内容はというと、 ノルウェー代表各プレイヤーについて、GK、世界のスタープレイヤー、監督、などについて全30項目、 各10問づつ設問されている。 一番すごいと思ったのは、MINIの項目で、Q.ミニの本名はなんでしょう? というもので(A.ヤン・イーヴァル・ヤコブセン) さすがに子供でもそのくらい知ってるだろう!! というレベルの低さ(苦笑)。

そんな中でちょっと気になった問題。Myggen編

Q.1995年キプロスでのエストニアとのテストマッチの前にミュッゲンとヘニング・ベルクが引き起こしたことは何か?
A1.ベンチで横になって眠っていた。
 2.ノルウェー国歌が間違っていたので、その間違った歌を歌った。
 3.ウオームアップをしなかった。

Q.フランスW杯の最中ミュッゲンが訪れたナイトクラブの名前は?
A1.モスキートファンタジー
 2.パラダイスクラブ
 3.アンティトップスポーツメン

答えはどちらも2番でした。
くだらないと言わないでー!!(笑)

「ELSKET & HATET」

Jan Åge Fjørtoft著(Familievennen Forlag)

オスロでサッカー関係の本を探すのは、だいたいパレーエというショッピングセンターの中にある「TANUM」という 書店で、ここはスポーツ関係の書籍が結構豊富。置いてある本の種類も多いのでよくここに通っているのだが、 この本を見つけたのは、デパートの一角にある書籍コーナーでだった。
特にサッカー関係の本を探していたのではなく、アンネ・ホルトの本などを見ていたら、 たまたまサッカー選手の写真が表紙になっている本が目に入った。
つい条件反射で手に取った瞬間は、何の本かはわからなかったのだが、中を開いてみてびっくり。
あの「元祖足技のなっていない男・アジ」こと、ヤン・オーゲ・フィヨルトフト様の自叙伝だった!(笑)

この本はなんと言っても中に入っているアジの写真が綺麗!!
悔しいけど、アメリカW杯の頃なんてホントにハンサムなんだよー。
今のノルウェー代表には失われてしまった正統派の美形ぶりにくらくら・・・(笑)。

でも、どーして写真ばかり誉めるのかと言ったら、それは読めないから!!(爆)。 約200頁の本文中はとにかく字ばっかり。
全17章に分かれていて、少年時代のこと、ラピッド・ウイーン時代のこと、 ミドルスブラでのこと、代表やアメリカW杯のこと、そしてドリロのことなどについて、 とにかく饒舌に語る語る。
この人は元々書くことが好きなんだと思う。
それは本人のHPを見ていても感じる。 今でこそサイト自体が改装され変わってしまったけれど、以前アジのサイトに行くと、 黒のバックに白抜きで文字、文字、文字・・・スクロールしないと読めないくらいの量だったので 私は一度もちゃんと訳してみたことはない(苦笑)。
間違いなくアジは最近のノルウェー代表選手の中でもトップ3に入るくらいの変人だと思う。
(ちなみにあとの2人はボヒネンとミュッゲン。・・・でも最近レクダルもヒドいと思っている・笑)

その思いを強くしたのは序章でこの文章を訳した時だった。
「君はおそらく氷、そして寒さの中をとぼとぼと歩かなくてはいけないので、エベレスト登山をする 70日間において、トランクスを取り替えていないと思い出しもしない!」
・・・どうしてこういう話が出てくるのか、私には前後の脈絡が全然掴めないのだが、 ともかくサッカー選手の人生に雪山登山がいきなり出てきたのには面食らった。
そしてその後、この本の翻訳は一向に進んでいない。 ものすごく面白そうな本なのだが、ものすごく疲れそうでもある。
いつか、すべて訳せた時にはもっと面白い内容をご紹介できること間違いなさそうだが、 今のままのペースでは、一生かかっても終りそうにない・・・(苦笑)。
はやくこの本がスラスラと読めるようになりたい。

けど、序章の途中まで読んだだけでもわかること・・・ともかくアジは恐るべき男である。


「HELT BAK MÅL 」

Erik Thorstvedt著(Det Norske Samlaget)

実は、この本を入手する以前、エリク様にクリスマスカードを送ったら、とても怪しい写真に 「HELT BAK MÅL 」という文字の入ったポストカードでお返事をいただいたことがあった。 だが私にはその「HELT BAK MÅL 」というのが、何なのかわからず2×45.と書いてあるのを 見てGK教則ビデオなのかなーと勝手に想像していた。
その謎は書店でこの本を見た瞬間氷解した!(笑) あのハガキの写真はこの本の裏表紙だったのだ。
きっとエリク様の手元にはこの本の宣伝ハガキがたくさんあったのに違いない!!

内容はエリク様のサッカー人生、GKについて、ノルウェーのフットボール、イングランドのフットボール、 監督、代表のこと・・・などとにかく散漫な印象。
エリク様の現役時代の写真やパパ・イヴェルセンと一緒に写ってるステファンの幼少の頃の写真 (かわいい!!)などもあるけど、全部白黒で今一つ。

部分的には気になるない内容もあるんですがとても全部は訳し切れないということで、 GKは本当に大変だーと思ったエリク様の1989年から1994年までの怪我リストをご紹介。

1989.8月左膝手術
1990.5.8 左膝再手術
1990.7.4 右肩手術
1992.4.14 右膝物理療法手術
1993.4.12 右手薬指骨折
1993.4.19鼠頚部の痛み(股間??)
1993.9.1 右踵の軟骨剥離
1994.1.26 右踵の軟骨剥離、足首、右膝十字靭帯手術
1994.7.4 右足首
1994.10.9背中の手術

他にもご紹介したい部分もあるのですが、それは次の機会にー!



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